********************************************************************** セッションS1-b 夜の分科会 テーマ:SWESTキャリアパス論 〜名刺に書く”博士号”の意義〜 コーディネータ: 高瀬英希(京都大学) 日時:8/30 21:00-22:30 参加人数:約30人 ********************************************************************** -------------------------------------------------------------------------------- オープニングトーク 21:00〜:21:15 京都大学 高瀬英希氏(以下HT氏) -------------------------------------------------------------------------------- HT氏: とりあえず,私の自己紹介をします.いま27歳です.来週28歳になります. 名古屋大学でずっと高田・冨山研究室にいまして,2009年4月茨の道を歩み始めました. 今年の三月に無事に博士号を取得しました.今は京都大学の高木研究室というところにいます. 高木先生との縁は,高木先生が名古屋大学に居たときは,高木研が高田研の横の部屋にあったということからです. そして,自分が呼ばれたのは酒が飲めるからだそうです. このセッションでやりたいことは,とりあえずは飲みましょう.ということで,私にもお酒を下さい. 美味しいお酒を飲むにはつまみが必要なので,つまみを用意しました. 一つ目のつまみがキャリアパスについてです. 今日は5人のパネラを呼んでいますが,各パネラがどういったキャリアパスを歩んできたかを紹介します. 二つ目のつまみが博士号についてです. 博士号については色々言われていますが,その価値あるの?という話です. その後に質問コーナーを設けます. まずはキャリアパスについてですが,状態遷移図(予稿集p128下)を作りました. 質問1: アカポスがアガリなの? HT氏: アカポスでアガリだと思わない人は,企業に戻っても良いです. 質問2: なんでポスドクから企業に行けないの? HT氏: あぁ,そのパスは書いて無いですね. 質問3: つめが甘い. HT氏: もうやめましょう.次のスライド行きましょう. 博士号を取ったら何が嬉しいかと言うと,私は「高瀬博士」ですと言えます. そして名刺にもちょろっと書けます.あと飛行機に乗った時に,肩書きがDr.になります. ただし,調子に乗ってDr.と書くと,急患が居た時に大変な目にあいます. まぁ,大学で教員になるには博士号が無いとダメです. そして,博士論文を出版すると,国会図書館に所蔵され,ちょっと嬉しいかもしれません. デメリットは3年間すごく大変です.そして,博士号を取るのが全然ゴールではなく,それからが大変です. 次に,本セッションの進め方です. 「セッション概要・パネラ紹介」が今喋っていることです. パネラの方を5人呼んでいますが,5人の方に今までのキャリアパスと,博士号について思うことをお話してもらいます. その後,パネラトークをうけて,パネル討論を行います. 最後に質問コーナを用意しております. 5人のパネラの方が話している間に質問用紙を書いて,この封筒に入れてください. パネラの方々ですが,まずは立命館大学の谷口先生. 次が日立製作所の吉村さん. そして,吉村東京農工大学の佐藤未来子先生. そして飛び入りのアイシン・コムクルーズの間瀬さん. 最後が,Heroku Inc.の笹田さん. 以上の5人でお送りします. 一応パネラのみなさんにはこういう話をして下さいと言うお題を出しています. まずは皆さんがどの様なキャリアパスを歩んできたかを話していただきます. パネラの中には,産から学だったり,学から産へキャリアを変更した方がいますが, 変更された方はどういった背景・理由で変更したのかについて話してもらいます. 次に博士号についてです.5人中4人は博士号を持っています. なんで取ろうと思ったかと,取得して良かったと思ったことを話していただきます. そして,今まどの様な仕事をしており,博士号がどの様に活かされているかについて話していただきます. 私のトークは以上です. -------------------------------------------------------------------------------- パネラ1人目 21:15〜:21:35 立命館大学 谷口一徹氏(以下IT氏) -------------------------------------------------------------------------------- HT氏: 最初は,立命館大学の谷口先生で,一番素直なキャリアパスを歩んでいます. 谷口先生は普通にマスターからドクターに行き,その後教員になられました. それでは,よろしくお願いします. IT氏: みなさん,こんにちは.谷口と申します. 僕は阪大で情報科学の博士号を2009年に取得し,立命館大学で助教として勤務しています. 専門はVLSI設計技術で,低消費電力化とかいろいろなことをやりながら,最近はスマートグリッドの研究もやっています. 早速キャリアパスなのですが,もともと僕は父親が工場とか会社の電気の管理者をやっていた関係で, 電気がすごく身近な存在でした. 決定的に自分が進むのはこの分野だと思ったきっかけは,中学校2年の時にWindows95が発売されたことです. この時,絶対この分野が面白いと思いました. その後,たまたま見学に行った石川高専というところの電子情報工学科が楽しかったので,高専に行きました. とはいえ情報系より電子系のウェイトが大きく,その間は電磁気とか回路とかをやって, 卒研では分子動力学シュミレーション(材料の物性のシミュレーション)をやって卒業しました. 博士号を取ろうと思ったのはこのあたりの時期です. 阪大に編入する段階で,ドクターを意識してました. 高専は僕にとって非常に良い5年間で,先生という仕事は面白そうだなと思いました. 僕の場合は研究よりも先に先生と言う仕事が面白いなというところからスタートしました. そして,なんかわからんけど,研究も面白そうだし,そっちの分野で行こうかなと思いました. そんな感じで阪大に進みました. 大学時代は惨たんたる成績でした.2004年から2006年は今までの人生で一番勉強しました. 必死で勉強して卒研が決まり,どこの研究室に行こうかといろいろ見ていたとき, 「組み込み」という言葉がふっと目に入ってきました. そして,自動車とか携帯とかパソコン以外のそういう機器っていっぱいあるから,これは絶対大事だろうと思い, 今井正治先生の研究室に配属され,今に至りました. 卒業研究では,再構成可能プロセッサの研究を始めました.そして,そのまま阪大のマスターに進みました. うちの研究室ではだいたいM1で初対外発表となるのですが,その初対外発表がDAシンポジウムでした. そして,うちの研究室で作った開発ツールのポスター発表などで,SWESTにも参加しました. その時期から学外活動の面白さを覚え始めました. また,僕はサークル活動などにも手を出しており,研究はあまり進みませんでした. でもドクターには行きたいし,研究して発表するのは楽しいと思っていたので, 先生に色々言われながらも,今に見返してやるぞと思いながら色々やってました. そんな僕にとってドクターの3年間は,苦しみぬいた3年間と言っても過言ではありませんでした. 自分のやってることが本当に役に立つのか,と自問自答しながらやってました. それだけやってもダメだったので,とりあえずいろんなことをやってみようと思って, 再構成可能プロセッサのタスク分割をやりながら,誤り訂正符号向けのプロセッサを作ったり, 企業との共同開発で新しいCADツールを作ったり,先生が作ったベンチャーに参加したりしました. 今回僕がこのパネルで喋るポジションとして,海外経験豊富と書いてありますが, D2の後期半年と,D3の8月から11月までベルギーに留学しました. その後,なんとか3年間で学位を取ることが出来,現在立命館で勤務しています. 現在は,忙しいながらも充実した生活を送っています. 人生の大きなターニングポイントになったベルギー留学ですが,この業界では普通留学と言ったらアメリカに行きます. でも僕の場合はたまたまベルギー留学の話があったので,そこのPh.Dリサーチャーとして行ってきました. 当時の僕の状況では,行ってる間に1本論文を書かないと卒業できないという状況でした. それでも人間死ぬ気でやれば何とかなるもので,必死でやって論文を書いて帰って来れました. ベルギー留学で得られたことですが,まずは「広い視野と豊富な経験」です. まず,家さがしから,研究活動まで様々なことを向こうで経験できました. その結果,コミュニケーション能力が身に付きました.そして,外国語に関する考え方が根本的に変わりました. また,同年代のたくさんの友人や共同研究者が出来たことが僕にとって大きかったです. 今はみんな世界中で働いていますが,例えばそいつらがトップカンファレンスなどで発表しているのを見ると, 自分も頑張ってやろうと思います. ベルギー留学を経て,研究者としての原点が出来ました. 研究に関する現在の状況ですが, 元パナソニックで回路のCADをやってた福井先生と共同で研究室を運営しています. テーマは組み込み系プロセッサの最適化や,スマートグリッドなどいろいろやっています. 教育及び大学業務に関する現在の状況ですが, まず2年生40人くらいにC言語を教えて,その日にそのまま100人くらいに電気回路を教えてます. 別の曜日に2コマ連続でFPGAの実験をやってます. 後期は比較的楽で,卒研の面倒を見ています. 大学業務についても,色々なことをやりました. 私立大学だから仕方ないんですが,研究以外に割く時間が多くて, 自分の時間として取れるのはだいたい18時以降です. 博士号についてですが, 何故取ろうかと思ったのかというと,先生と言う職に漠然と興味があったからです. 大学に編入する時点で博士課程に進むことを意識していました. せっかく取るなら良いとこで取ろうと思って,面白そうだった阪大で取りました. 博士号を取ってよかったかと言うと,良かったです. 取るまでに結構大変だったんですが,その過程は自分が成長するために必要だったと思います. 博士号は取るべきかと言うと,取って損は無いと思いますが,無理して取る必要は無いです. 志があれば是非挑戦するべきだとは思います. 大学関係に興味がある人や,研究に興味がある人,海外志向の人などは,是非博士号を取っておくと色々良いのかなと思います. すみません,喋りすぎました. HT氏: はい,ありがとうございました. 一人10分でお願いしたのですが,18分お話されました. 谷口先生に質問がある人はどうぞ. 質問4: 海外志向と言うのは,別に大学じゃなくても行けるんじゃないでしょうか. IT氏: はい.それはあると思います. -------------------------------------------------------------------------------- パネラ2人目 21:35〜21:45 日立製作所 吉村健太郎氏(以下KY氏) -------------------------------------------------------------------------------- HT氏: 次は日立製作所の吉村さんです.よろしくお願いします. KY氏: 日立製作所の吉村です.ちなみに,日立研究所の横浜研究所というところにいます. どういう経歴かというのをかいつまんで言いますと, 2001年に修士を出まして,その時日立製作所の研究部門に配属され, その後ヨーロッパに行ったりして,2009年に大学院で博士を取りました. 今どういうことをやっているかと言うと,情報処理学会とかIEEEに入ってます. 対外的な活動としては,ISOの委員をやっていたり, Software Product Line Conferenceのプログラム委員を2007年からやっていたりします. 主な書籍や論文もProduct Line系の論文や書籍の翻訳をやったりしています. これまでのキャリアパスと言うことですが,一貫してソフトウェア開発方法論を研究しています. 2001年から2010年から組み込みをやっていて,2011年からエンタープライズ系もやってねということで, 現在COBOLのプログラムと悪戦苦闘しています. 2001年に修士課程を修了して就職と書きましたが,修士号は機械工学です. 機械工学で会社に入って,自動車の制御の仕事に就いたはずなんですが, 入ってみたら自動車用のリアルタイムOSの研究をすることになりました. その後,モデルベース開発やProduct Lineをやったり色々なことをやっています. 初めての社外発表が2003年のSWESTで発表をしました. その後論文を書いて,ちょうど2本書き終わったので,大阪大学の情報工学の博士課程に入って,2年間で博士号を取らせていただきました. 何で博士号を取ろうと思ったきっかけについてお話します. 修士の時に実は博士に行きたいと思ってた時期がありまして,行く研究室まで決まっていたのに, 親兄弟親戚友人総掛かりで博士課程に行くのだけはやめろと言われ,そういうものなのかなと思って就職しました. その後たまたま機会に恵まれたので論文を書いて,何とか博士号を取らせていただきました. また,もう一つきっかけがありまして,ヨーロッパやアメリカでは学位の有無で扱いが大きく違うということです. まず学位によってフィルターが掛かってしまうので,それがとてもくやしかったです. そこで,自分にその実力があるなら学位を取ってやろうと思い,論文を2本書いた時点で博士課程に行き,博士号を取りました. 博士号を取ってよかったと思ったことは,肩書きがMr.からDr.に変わったこととともに, 海外で仕事をしようと思った時,特にISOの標準化などで仕事をしようと思った時に,仕事の幅が広がったということです. HT氏: はい,ありがとうございました.何かご質問はありますでしょうか. 質問5: 企業で論文を書かれているのは,個人の努力で書けるのか,部署の理解があったからなのか,どちらでしょうか. KY氏: 私の居た部署は自動車部品というビジネスだったので,一種の宣伝材料と言う扱いで論文を書くことが奨励されていました. 質問6: 論文書くよりも仕事しろとか特許書けとか言われないのですか? KY氏: 特許というのは当然ありまして,最初に特許を書かないと論文は書けません. 自動車業界には色々カンファレンスがありまして,そういったところで論文発表することが, 会社としてプレゼンスを向上するであるとか,ありがたい題目が付く環境にあったため,論文を書くことが出来きました. 質問7: Mr.からDr.に変わった時の待遇の違いについて教えてください. KY氏: 年上の人からの丁重に扱われるようになりました. -------------------------------------------------------------------------------- パネラ3人目 21:45〜21:55 東京農工大学 佐藤未来子氏(以下MS氏) -------------------------------------------------------------------------------- HT氏: 次は東京農工大学の佐藤未来子先生です. 佐藤未来子先生は修士からとりあえず就職して,色々あって,ドクターを取って,今は先生をやっています. MS氏: 佐藤です.よろしくお願いします. 私は農工大で修士をとったあとに,日立製作所の中央研究所に就職しました. その頃には全くドクターを取るという意識は無く,一生日立でお勤めしようと考えてました. 90年代と言うのは本当に激動の時代で,仕事が2年ぐらいごとに変わりました. そうこうしてるうちに主人を見つけ,第一子が生まれ,第ニ子が生まれ,いろいろ事業部も移されました. 子供も二人出来て仕事がなかなか続けづらくなったので,2002年ぐらい,ちょうど10年くらい働いて, 大学院に戻ることを決め,今に至ると言う経歴を歩んでいます. 何故キャリアを変更したかということについてお話します. まず大企業のメリットと言うのは,育児休暇や産休,短時間勤務など,子育ての対応がしっかりしているのでおすすめです. 私がその間休んでも,若い男の子にこの仕事1年間頼むよとお願いしておけば,大きな穴にはなりませんでした. しかし,10年も勤めているといろいろと変化してきました. 特許書いて論文書いてと言う研究職ではよかったのですが,技術営業という仕事も出てきて, お客さん対応による出張なども出てきて,子育てと両立しづらい状況になってきました. そこで,いろいろどうしようかなと考える時期があって,続けようという思いもありましたが, なかなか別の仕事もアサインしてもらえず,そろそろやめるかなと思いました. そのとき3つの選択肢がありました. 一つ目は全くこの業界から足を洗って専業主婦をやる. 二つ目はパートおばちゃんにでもなってアルバイト生活をする. 三つ目はまた学生にでもなってOSを手掛ける. 私の頭の中にはこの3つがありました. 何故OSかというと,日立製作所の業務履歴の中で,OSというものは無かったからです. 90年代では大型計算機などをやっている部署ではOSが出来たが,それ以外の部署ではできませんでした. 私がやったのは性能評価だったりプロセッサ開発だったり,メディアサーバ開発,NFS,負荷分散器のコンサルなどの仕事でした. 高校時代は数学が好きだったんですが,数学では食べて聞けないことは分かっていました. そこで,1980年代に家の近くにあった農工大に入りました. そこで4年生になった時に何処の研究室にしようかと思った時に,たまたまOSの講義をやっていた高橋延匡先生に出会いました, 高橋先生の講義が一番おもしろかったという理由から,高橋研究室に入りました. ところが,いざ入ってみると,マイコンクラブの精鋭たちがOSの研究をしに来るような研究室で,私のような素人が入る研究室ではありませんでした. 私は計算機の「け」の字も知らずに大学へ入り,プログラミングも大学に入ってから習得してあまり得意ではなかったので, 高橋研究室でOSの研究をやれるものではなく,あえてプリントサーバの研究で卒業・修了しました. これが非常にトラウマで,自分にOSは出来ないという気持ちを持ったまま10年間日立でやってきました. そういった経緯から,どうせやるなら最後はOSで博士号を取って終わらせようと思いました. そこで,研究室との付き合いがあった並木先生の門戸をたたいた次第です. その頃ちょうどそこに座っている長女が小学校1年生で学童保育に通っていて,長男が保育園の3歳クラスでした. これが結構ポイントで,企業でフルタイムで働いていると保育園には入れやすいけれど, 大学に入りたいから保育園に入れてくれと言ってもなかなか入れません. 自分はフルタイムの仕事をしていたから,保育園の継続はしやすく,これを逃す手はありませんでした. 子供たちは保育園でお世話になりつつ,自分は学生になると言う状況でした. これで3年で卒業できれば,長男も卒園するしうまくいくかなと思ったのですが, 主人の母が倒れたりといろいろなことがあり,論文などが思い通り通らず,結局家族の協力もあり4年越しで博士号を取得しました. 博士号を取って良かったことですが,今は任期付きですが助教として働かせてもらえていることです. 私にとって博士号は免許の様なものでして,免許がなければCRESTの研究員として働けなかったわけですし,今の職の免許が取れて良かったなと思っています. 一番良かったのが,これは私が望んだことでは無かったのですが,学生と一緒に色んな研究が出来る環境にいて,楽しいということです. 学生は省エネとか組み込み,リアルタイムOS,メニーコア,GPGPUなど非常にいろんなことをやっていて, そんな話を聞くだけで毎日楽しくて,やってて良かったなと思っています. また,学会投稿してこんなところで色々な交流を持つことが出来きるということは,専業主婦では味わうことのできない醍醐味かなと思ってます. 博士号が現在のポジションに生かされているかと言うと,今のところ「Yes」です. 子供を産んだ年齢や運も良かったが,年も年なのでこのまま続けられる保証は無いので, 今を大事にして粛々と論文出したり学会活動をしたりして,次のチャンスに繋げないといけないなと思っています. 人生何が起こるか分からないので,取れるときにドクターを取ったり,書けるときに論文を書くと言うことが大事だなと思います. HT氏: ありがとうございました.このトークで何か質問はありますでしょうか. 質問8: 一度企業に勤められて,その経験がどういったところに活かされた,または邪魔をしたでしょうか. MS氏: 企業に勤めて良かったことの一つは,特許の書き方がわかったことです. クレーム書いたり証明する書き方だったりは論文に生かされています. 経験はあまり活かせていませんが,企業の経験を学生にお話ししたりできるという点では,助教という職に活かされています. -------------------------------------------------------------------------------- パネラ4人目 21:55〜22:10 アイシン・コムクルーズ 間瀬純一氏(以下JM氏) -------------------------------------------------------------------------------- HT氏: 次は飛び入りのアイシン・コムクルーズの間瀬さん.よろしくお願いします. JM氏: みなさんこんにちは.アイシン・コムクルーズの間瀬です. 私は1992年に名古屋大学理学部数学科を卒業し,2年後に修士課程を修了しました. その3年後に後期博士課程を中退しました. その理由なんですが,工学部と理学部の価値観は異なり,当時の理学部では博士号というのは非常に厳しかったからです. その人のライフワークを論文に書いて博士号を取ると言う考え方が残っていました. この時悲惨だったのは17名後期博士課程がいたんですが,一人も3年間で取れませんでした.そして4年目も一人も取れませんでした. そこでいろいろ考えたんですが,私は数学をすごい勉強していたんですが,数学の研究の分野で世界のトップレベルにはなれないと感じていました. 数学のトップレベルになる方は,修士の時点ですでに次元の違う研究をされていました. それで数学をやるのをやめて民間に行きたいと思い,先生の伝手でNECに入らさせていただいた. そこで4年間やった後,アイシン精機に採っていただき、現在はアイシン・コムクルーズに出向しています. 私は博士号をもっておらず,最終学歴は名古屋大学理学部後期博士課程中退です. 大学での研究は村井隆文先生のもとで解析を研究していました. さっき佐藤先生が数学で生きていくのは難しいとおっしゃってましたが,確かに難しいです. 世界でトップレベルの才能があれば生きていけますが,私がそれに気づいたのは29歳でした. 辞める前に先生からこういうポジションがあると、ある大学を紹介されましたが, 世界のトップレベルからは遠いなと思ったので,私は民間に行きました. 私は今は飲んだくれですが,研究室時代は真面目にやってました. 博士の時に数値解析をやっていたお陰で,ソフトウェア開発の会社に就職できた点は良かったと思います. 博士号は現状で言うと大学で働くための免許ですね. 私は29歳で心機一転就職しましたが,企業の教育担当が私よりも年下なんですよね. 教育のテキストの質があまりにもよくなかったので,赤字で全部修正して提出したらいきなり要注意人物になりました. NECのソフトウェアチームに1998年に入ったのですが,ちょうど2000年問題というのがあり,多いときは月200時間以上残業していました. オープンシステムって言うのは時々こういうことが起こるらしいですが,面白かったです. この様なオープンシステムの仕事は悪くなかったのですが,ちょっとつらくなったので組み込みに移りました. そのときたまたまアイシン精機が採ってくれました. アイシンで私が担当したのがバスとトラックを制御するソフトだったんですが,要求分析から設計・実装まで ソフトに関しては全て自分でやらせてもらえ,非常に幸せな経験を積ませてもらいました. 私は最終学歴は博士課程中退です.企業では中退は考慮しないので,修士課程卒業という扱いになります. なので,24歳の修士課程修了者と同じ形で企業には見られます. ちょっと話を戻しまして,何で博士になりたかったと言うと,私は高校の時数学が非常に好きで,プロの数学者になりたかったからです. プロの数学者になるには理学部に行って博士になるしかありませんでした. 博士を目指してよかったかと言うと,私は心の底から良かったと思います. 数学自体は今は使っていませんいが,4年間本当の学問を学ぶことが出来ました. 博士号が現在のポジションに活かされているかという意味では,学位を持っていないのでNoです. あくまで中退と言うのは企業の中では考慮されないので,企業のデータベースでは私は修士です. その代り,企業に入ってから私は昇進が早かったです.そのため,4年間分の穴は取り返すことが出来た. 僕が博士を辞めた時,奨学金の借金が700万ありましたが,民間行って出世すると,700万はすぐに埋まりました. 博士に行って中退の人もこんなにすぐに埋まっているので,僕は好きなことをやったら良いと思います. HT氏: ありがとうございました.今年はあまり暴走しなくてよかったです. -------------------------------------------------------------------------------- パネラ5人目 22:10〜22:20 Heroku, Inc. 笹田耕一氏(以下KS氏) -------------------------------------------------------------------------------- HT氏: 最後はHeroku, Inc.の笹田さんです. 笹田さんは学に居たのですが,産に行ってしまいました. よろしくお願いします. KS氏: Heroku, Inc.の笹田と申します. SWESTは初めて参加させていただきましたが,大変楽しませていただいてます. 私のキャリアパスなのですが,どちらかというと学歴や職歴よりも活動の方が多いです. 学歴としては博士を一度中退して,その後論文博士を取りました. 学生やって,東大の助手になって,講師になって,研究室4年間やって,Heroku, Inc.という外資系の会社に移ったというのが大まかな流れです. 先日,生涯賃金が大卒と高卒で9千万違うと言う話がTwitterで流れて,これに対するリプライに「じゃあ博士ってマイナスいくらなの?」というのがありました. 私はこれに対する答えを持ってないのですが,そういうイメージのある博士って言うのはどういうものなのかなっていうのを,自分の立場から考えてみました. 何故私が博士になったかと言うと,私には主夫になるとかそういう選択肢も無かったですし,大学に入った時も博士になろうとも全然思ってませんでしたが, 一番大きいのは「仕事をしたくないでござる」ということですね. 適当にソフトウェア作って楽しんで,博士になるともう少し猶予が伸びると言うのがあって,じゃあ博士になりますという感じでずるずるといってしまいました. ずるずる行ってる中で何故あまり後悔しなかったかと言うと,ソフトウェアの開発がしたかったし,それを出来る環境を得られたということです. 大学の講師をやっていると,学生と「就職厳しいね」とかそういう話も出ますが,「そうだね」としか言いようがなくて,その点は学生には申し訳ないです. 「末は博士か大臣か」という言葉もありますが,やっぱり親は東大の博士取ったと言ったら自分のことのように喜んでくれました. そもそも博士から更にアカデミックキャリアに行った理由は,「大学の教員になったら好きなこと何でもできる」とある人から言われ, こういう職があるのかと思って進みました. しかし,その人はよくできる人だから何でも出来ただけで,私にとっては雑用が非常に大変で苦労しました. 博士号を取得して良かったと思うことは,アカデミックポジションに就職できるということと,博士取らなきゃと言うプレッシャーが無くなったことです. 現在のポジションは非常に良いところで,Rubyの開発を続けています. では博士号を取ったという経験が私のキャリアに何か役に立ったかと言うと,考え方などに活かしたり, 学会などで喋らせてもらえたりと言う意味では良いことはあるのですが,仕事自体に活かせるようなポジションではありません. 博士号を持っている笹田という考え方ではなく,笹田という人間だから就職できたし,こういうところに呼んでもらえているので, 学位よりも自分の名前を売って,そのなかにたまたま博士号がついてきたというのが正直思うところです. HT氏: ありがとうございました. -------------------------------------------------------------------------------- 飛び入り参加者との議論 22:20〜22:25 飛び入り参加者1人目 HO氏 -------------------------------------------------------------------------------- HT氏: 次はパネルに移ろうと思うのですが,今までの話を聞いて俺にも喋らせろと言う飛び入りの方はいらっしゃいますでしょうか. HO氏: 私も一応ドクターを持っているんですが,私は5年半かかって何とかギリギリ取れました. その間,学費は幸い会社が持ってくれました.本当は3年間で終わるはずなので3年間分しか予算申請がされていませんでした. そこで,3年目以降は請求書だけをこっそり人事に回すと言う作戦で,学費は全部会社持ちになりました. でもこれで取れなかったらどうなっていたんだろうと思います. 会社に入って博士号が役に立っているかと言うと,うちの会社はそこまで評価はしてもらえてません. リスペクトも何もされていない雰囲気もあります. その中で,私は幸いにして会社のキャリアパスは続けながら,TOPPERSプロジェクトとか好きなとことを何とかやれる雰囲気を, この人はこんな人なんだなと思わせることには成功しました. いまTOPPERSプロジェクトもやっていますし,最近はちょっとRuby系をやり始めまして, 今はRubyからC言語のインタフェースを自動生成するソフトを作ったりしています. そういった好き勝手な活動を出来る人は世の中には意外と少ないのかなと思っていて, そこをどうぶち破るのかなって言うのを私は期待しています. 質問9: ドクターを取ったことが,会社内でそれをぶち破るのに役に立ちましたか? HO氏: ドクターを取ったか取らなかったかじゃなくて,この人はこういう人なんだなと思わせることが重要です. 叩かれるところまでやらないと限界がわからないので,まずは叩かれるまでやってみる. そして,限界をキープして,限界の一歩先にどうやっていくかが考えどころです. 質問10:変人になるということですか? HO氏: 変人になってしまうと会社で相手にされなくなってしまうので, いかにまともな雰囲気を出しつつ限界をぶち破るかが大事です. 質問11:仕事のパワーを持っていることが大事なんですよね. HO氏: 好き勝手なことをやるためには,好き勝手にやれない部分をしっかり押さえる必要があると思います. 質問12:産の中では,博士号はあまり評価されないですよね. HO氏: 何処に企業でもそうですね. 社内ではお互いよく知っているので,博士持ってるか持ってないかと言うよりは,その人の実力で評価されると思います. でも社内では評価されないが,社外では評価されることがあります -------------------------------------------------------------------------------- 飛び入り参加者との議論 22:25〜22:30 飛び入り参加者1人目 TS氏 -------------------------------------------------------------------------------- TS氏: こんな話を聞いていると,博士号取ってよかったねという話に流れてなっていますが, 学卒で就職した立場から意見を言わせてください. 僕は学卒で22歳でヤマハに就職して7年目で,いっぱい働いてると思っています. 僕は学卒で働いて,修士取らなきゃとか博士取らなきゃと思ったことは無いです. もうひとつは,若いうちにお金が使えます. いままだギリギリ寮にいるのですが,月6千円で住めて独身なので,お金はいっぱい使えます. JM氏: でもね,40で独身で課長にもなると金は要らんからね TS氏: 若いうちにお金を使えるのが大事なんです. そういう意味で若いうちに働くのは良いということが言いたかったです. IT氏: 今に関連して,大学の教員の立場からもう一つ, とりあえず院進んだらええやんみたいな風潮は僕は反対です.来たいやつが来たらいいし,働きたい奴は働いたらいい. なんとなく目的もなくだらだらだらっと,というのは生き方としても良くないかなと思います. 就活ダメだったから大学院行こうかなとかそういうのは防ぐべきだと思います. 志のある奴に来てほしいです. 質問13:志って言うのは大学教員になりたいとかですか? IT氏: 例えば研究室でこの研究面白いなとか,もうちょっとやってみたいなとかそういうことで良いんです. -------------------------------------------------------------------------------- 質問コーナー 22:30〜22:35 京都大学 高瀬英希氏(以下HT氏) -------------------------------------------------------------------------------- HT氏: パネルはすっ飛ばして質問コーナー行こうと思います. 質問14:尊敬できる人は誰ですか? IT氏: やっぱり学位取った人間に尊敬する人は誰ですかと聞いて,外せないのは自分の師匠だと思います. やっぱりそれはなんだかんだ言いながら自分を鍛えてくれて,すごいなこの人と思える瞬間が何度もありました. それに加えて,僕の場合はベルギーに行っていたので,向こうの師匠にもすごい人がいっぱいいました. KY氏: 尊敬できる人は学位を持っていますかということについてですが,持っていません. 私はまつもとゆきひろさんを尊敬しています. 学位と尊敬できるというのはまた別の話だと思います. MS氏: 最近尊敬できるなと思えるのは,CRESTでお世話になっている大学関係の先生方です. CRESTのプロジェクトに参加しているので,その際に切れる意見をいただくことが多かったです. 質問15:博士号を取った方は,論文以外でこれまでにどんなアウトプットを出したのですか? IT氏: アカデミックポジションの場合論文を書くことが仕事になるので, それ以外のアウトプットを出すことがすごく評価されると言うこともない. 大学教員が出すアウトプットと言う意味では,指導した学生が世の中で活動してくれることがそれに相当するだろう. KY氏: 企業研究者で製品をつくっているのですが,製品がアウトプットで, 論文は趣味で書いていると思っています. -------------------------------------------------------------------------------- クロージングトーク 22:35〜22:38 京都大学 高瀬英希氏(以下HT氏) -------------------------------------------------------------------------------- HT氏: そろそろ時間も時間なので,クロージングのトークとします. こういうセッションやるとだいたい好きなことやりゃいいじゃんとか 取りたきゃとりゃ良いじゃんみたいな結論になるんですが. まぁそれはそれでいいんです. 今日はいろんな5人の方のキャリアの話を聞いて,これからの参考にしていただけたら今日のセッションは良かったのではないでしょうか. 以上。